子育ての楽しいと思える瞬間を大切に
コロナ禍で子どもたちが元気に遊ぶ姿が減少しました。町の中ではお祭りやイベントが中止になっています。子どもも大人も閉塞感の中で生活しておりストレスが高まっています。子育て中の親は、実家の支援を受けることができなくなったり、ママ友との交流も制限され、親子での旅行や遊びも限られてしまいました。
人との交流が得意でなかったり、子育てが楽しくなかったり、苦手な親は子どもへの虐待が心配されます。これらの親への支援をさらに充実する必要があります。
日本乳幼児精神保健学会が昨年12月に郡山で開催されました。その中で「間主観性」という言葉が多く出されていました。「間主観性」とは、まさに人と人とが五感を使い心の奥底から楽しい事や悲しいことなど気持ちや感情を響きあわせることです。
子育てにおいても、親と子が抱きしめ合い肌のぬくもりをお互いに感じ、視線を合わせることで慈しみを感じ合うことです。
子ども同士が遊びの中で、体を寄せ合い、笑いあい、時には喧嘩をして楽しいことや悔しい気持ちを分かちあうことです。
当たり前のことの様に思いますが、この当たり前のことがとても重要で子育てが苦手な親は子どもと響きあう関係性を気づくことが難しいのです。
虐待が心配される親には、その支援としてその親の辛い気持ちに寄り添い、共感性をもって接することが大事である事を多くの支援者が心がけて支援しています。しかし、この「間主観性」の意味を改めて考えると、その親の悲しみや辛さに寄り添うことは当然ですが、少ないかもしれないが、親が子どもと響きあい子どもが可愛いと思える瞬間や子どもが幸せを感じたり楽しそうにしている瞬間を捉えて、その事を親に伝え意識化する支援も必要ではないかと考えるこの頃です。
「泣いていた○○ちゃんをお母さんが抱きしめた時、○○ちゃんはとても安心した表情だったわ」「○○ちゃんと絵本を読んでいるお母さんは楽しそうに見えたけど」などなど。
どんなに、子育てが苦手な親でもこの気持ちがあることを信じて支援したいものです。
大場エミ